古関裕而の経歴や職業・出身は?家族や作品についても調査!

こんにちは! 空です。

 

NHKの2020年春放送予定の連続テレビ小説が決まりましたね!

「エール」というタイトルで

俳優の窪田正孝さんが主演を務める事が決定しました。

 

NHKの連続テレビ小説(朝ドラ)で、男性が主演を務めるのは

マッサンの玉山鉄二さん以来、6年ぶりということですよ!

確かに、朝ドラって女性が主役のイメージが多い気がしますね。

 

次回の朝ドラ「エール」は古関裕而さんの生涯を描いたドラマとなります。

 

今回は古関裕而について、職業や経歴・家族などについてまとめていきたいと思います。

 

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古関裕而の職業や経歴・出身は?

朝ドラ「エール」について

連続テレビ小説 第102作「エール」は、昭和という激動の時代に、人々の心に寄り添う曲の数々を生み出した作曲家とその妻の物語です。

銀行に勤める福島の青年と豊橋に住む女学生が、文通で愛をはぐくみ、電撃結婚。

音楽によって強く結ばれた二人は、戦前・戦中・戦後を生き抜き、多くの名曲を生み出します。

少し気弱な夫と、たくましい妻が織りなす珍騒動。

そこに愉快な仲間たちが次々と加わります。

苦難を乗り越え、笑いと涙の中で生まれる珠玉のメロディー ─ それは激動の時代を生きる人々への

“エール”となって、日本中に響き渡るのです。

引用元:公式HP

ここで言う「人々の心に寄り添う曲の数々を生み出した作曲家」というのが

古関裕而さんとなりますね。

 

早速どんな方なのか、ご紹介していきたいと思います。

 

古関裕而(こせき ゆうじ)

本名:古関勇治

生年月日:1909年8月11日 (~1989年8月18日(80歳没))

出身:福島県福島市大町

職業:作曲家

ジャンル:応援歌、軍歌、歌謡曲

 

経歴


福島県福島市の呉服店『喜多三(きたさん)』に生まれた古関さん。

 

お父様が音楽好きで大正時代ではまだ珍しかったという蓄音機を購入し、

家庭はいつもレコードが流れていたといいます。

 

そんな環境で育ったという事もあって、ほとんど独学で作曲の道を歩んでいきます。

大正5年、7歳のときに福島県師範学校附属小学校へ入学するのですが

担任の先生が音楽好きで、音楽指導に力を入れていたといいます。

 

10歳の頃には楽譜が読めるようになった古関さんは、授業だけでは物足りなくなって

市販の楽譜などを買い求めるようになり、ますます作曲に夢中になったそうです。

 

その内、クラスメイトが詩を持って古関さんに作曲を依頼してくるようになったといいます。

子供の頃から作曲に親んできたのですね!

 

大正11年に音楽家の多い旧制福島商業学校に家業を継ぐ為に入学します。

ただ、ここでもやはり作曲に夢中だったという事で、常にハーモニカを携帯していたといいます。

この頃も独学での作曲法の勉強し続けています。

 

在学中に家業の呉服店が倒産し、学校を卒業する頃には福島ハーモニカーソサエティーに入団します。

当時、日本でも有数のハーモニカバンドで、作曲・編曲・指揮を担当していたといいます。

 

この頃、初めて近代フランス、ロシアの音楽に出会い、衝撃を受けた古関さん。

レコードコンサートに頻繁に通っていたそうです。

 

卒業後は、川俣銀行(現東邦銀行川俣支店)に就職します。

この頃、リムスキー=コルサコフの弟子で仙台に在住していた金須嘉之進に師事することになり

始めて人に作曲を教えてもらう事になるのですね。

 

そして、1929年(昭和4年)に舞踊組曲『竹取物語』

イギリスロンドン市のチェスター楽譜出版社募集の作曲コンクールに入選します。

これは日本人初の国際的作曲コンクール入賞という事で、当時の新聞でも大々的に報道されたそうです。

 

この入賞の報道を読んで、古関にファンレターを送ったのが・・・

後に奥様となる、愛知県豊橋市在住の内山金子(きんこ)さん。

熱烈な文通を経て1930年にスピード結婚をし、以来ずっとおしどり夫婦として過ごします。

 

わずか1年でのスピード結婚という事ですので、よほど波長が合ったのですね!!

 

昭和5年には、日本コロムビア(レコード会社)専属の作曲家に迎え入れられます。

 

 

家族について

 

作品について

数々の作品を世に生み出している古関さん。

「テーマや詩を前にしてその情景を思い浮かべる。すると音楽がどんどん頭の中に湧いてくる」
 

と話していたといいます。

根っからの作曲好き、音楽好きな天才なのですね。

 

子どもの頃、近所に住んでいた鈴木喜八という5歳年上の少年が後に

作詞家:野村俊夫となり、一緒に多くの作品を生み出しています。

 

「暁に祈る」

「シンガポール晴れの入城」

「かちどき音頭」

「嗚呼神風特別攻撃隊」

「とんがり帽子」

「長崎の鐘」

 

1947年以降は、NHKラジオ・ドラマ「鐘の鳴る丘」「さくらんぼ大将」「君の名は」

などの主題歌で一世を風靡。

 

早大応援歌「紺碧の空」や「船頭可愛や」「暁に祈る」も古関さんの作品。

 

・甲子園でおなじみの「栄冠は君に輝く」

・1964年開催の東京オリンピックの開会式に鳴り響いた「オリンピック・マーチ」

・阪神タイガースの応援歌「六甲おろし」

・読売ジャイアンツの応援歌「巨人軍の歌(闘魂こめて)」

「中日ドラゴンズの歌」

 

なども古関さんが作曲しています!!

 

作曲作品総数は、5000を超えると言われています。

 

1953年にNHK放送文化賞を受賞し、

これまでの功績を認めらて1969年には紫綬褒章を受章しています。

 

また、地元の福島市名誉市民第一号にもなっていますね!

 

 

家族について

とても愛妻家としても有名だったという古関さん。

ご家族の事もとても大切にしてきた方なのですね。

 

古関裕而さんのお子様については、はっきりと何人、というのはわかりませんが

長男・長女がいる、という情報はありました。

 

長男である古関正裕さん

古関正裕さんも、同じように音楽のお仕事をされています。

昭和21年、東京都生まれの正裕さんは、現在72〜73歳。

 

正裕さんの若い頃はビートルズが流行っていた時代という事で、

自分の父親の曲には全く興味もなかったといいます。

 

ただ、やはり音楽には興味があり、小学1年生の時から12年間ピアノを習っていたそうです。

 

学生時代は、カントリーバンドやグループサウンズ「ヴィレッジ・シンガーズ」で活動し

音楽への道も考えたとの事ですが、裕而さんに「頭で考えて作ってるね」と言われて

かなわない、と思いあえて違う道を進んだといいます。

 

早稲田大学の数学科を卒業し、日本経済新聞社に勤務していたという事で

データベース・システム、オンライン情報サービス・システムの開発などに携わっていました。

 

日本経済新聞社を早期退職(定年扱)後に、

青山で輸入婦人服のセレクト・ショップ「ブティック・ラフィーナ」を営みながら小説の執筆をされていたそうで

「緋色のラプソディー」を執筆・出版しています。

 

その後、2013年1月に鈴木聖子さん、齊藤早苗さんと共に

音楽ユニット「喜多三(きたさん)」を結成しています。

 

喜多三というのは、お気づきの方もいるかもですが、古関家の実家であった呉服屋の名前ですね!

 

父親である裕而さんの楽曲を使って、高齢者施設などでライブなどを行っているそうです。

正裕さんが父の曲をじっくり聴くようになったのは大人になってからだそうです。

昭和63年の福島市古関裕而記念館開館に向け、資料集めに奔走したのがきっかけという事で

その頃に改めて父親である裕而さんの曲に触れて、再び音楽の道へ進まれたのですね。

 

まとめ

今回は、NHKの2020年春放送予定の連続テレビ小説「エール」にて描かれる

作曲家:古関裕而さんについてまとめてきました!

 

いや、本当にすごい方なんですよね。

今でいうと大ヒット曲の数々を世に生み出してきた方、という感覚でしょうか・・・。

 

小さい頃から音楽が好きで、作曲をしていたというのも驚きですし

頭で考えるのではなくても曲が浮かんでくる、というのはまさに天才ですよね。

 

そんな古関裕而さんの生涯がどの様にドラマで描かれていくのか、も楽しみです。

 

今回も最後までご覧いただきありがとうございます。

また別の扉でお会いしましょう。

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