津田梅子の経歴や留学・名言について!美人画像や5千円札起用の理由も

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こんにちは! 空です。

 

5月から平成から令和にと新しい時代に突入しようとしていますが

この度、ニュースにて千円、5千円、1万円の各紙幣(日本銀行券)を一新させると発表がありました。

 

見慣れていたお札の絵柄が変わるということで、こちらも新時代を感じさせますよね!

 

今回各お札に起用されたのは

1万円札:渋沢栄一

5千円札:津田梅子

千円札:北里柴三郎

となっています。

 

・・・ちょっと聞きなれない名前が並んでいます(笑)

 

というわけで、今回は唯一女性である5千円札に起用された、津田梅子さんについてまとめてみたいと思います!

 

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新紙幣はいつから発行?

今回一新される紙幣ですが、一体いつから発行されるのでしょうか??

 

政府の発表によると、新デザインの紙幣は

2024年度前半からの発行ということです!!

 

あと5年後ということになりますね。

5年後には、今のお金は「古いお札」となるのですね~。

 

元号の変更・紙幣の変更と、本当にここ数年で色んな事が新しくなっていきます。

そんな移り変わりの瞬間に立ち会えるのも貴重な経験の様な気がしますね。

 

津田梅子ってどんな人?経歴など

引用元:https://www.nikkei.com/article/DGXMZO43505090Z00C19A4MM8000/

今回新5千円札に起用された、津田梅子さん。

一体どんな方で、何をされた方なんでしょうか??

詳しく見ていこうと思います。

 

津田 梅子(つだ うめこ)

引用元:wikipedia

 

生年月日:1864年12月31日(~1929年8月16日)

死没:64歳没

出身: 江戸牛込南御徒町(現在の東京都新宿区南町)

職業:教育者

 

津田梅子さんは、現在の東京都新宿区にあたる江戸の牛込南御徒町に生まれます。

父親は幕臣だったとの事で、幕府崩壊とともに職を失いましたが、

明治2年(1869年)に築地のホテル館へ勤めはじめたといいます。

 

幕臣(ばくしん)は、幕府の長である征夷大将軍を直接の主君として仕える武士のこと

 

明治4年(1871年)に、父親が明治政府の事業である、北海道開拓使の嘱託となります。

当時の開拓使次官の黒田清隆が女子教育にも関心を持っていたということで

黒田が企画した女子留学生に梅子を応募させ、同年に梅子は渡米。

 

この時渡米した5人のうち、梅子は最年少の満6歳だっというので驚きですよね!

横浜を出港し、サンフランシスコを経て、ワシントンへ渡ります。

渡米当時の梅子。(引用元:wikipedia)

 

梅子は、アメリカで画家のチャールズ・ランマン 夫妻の家に預けられ、十数年を過ごしています。

 

英語・ピアノなどを学び、市内のコレジエト・インスティチュートへ通う内に

キリスト教への信仰も芽生え、フィラデルフィアの独立教会で洗礼を受けています。

 

その後、明治11年(1878年)にコレジエト校を卒業して、

私立の女学校であるアーチャー・インスティチュートへ進学します。

 

ここでは、ラテン語・フランス語などの語学・英文学のほか、自然科学や心理学、芸術などを学びます。

明治15年(1882年)7月に学校を卒業して、同年11月に日本へ帰国となります。

この時、梅子は17歳となっていました。

実に11年間もの間、外国での生活をしていたという事になりますね!

 

日本へ帰国後の活動は?

 

17歳で日本に帰国した梅子ですが、当時の日本は女子留学生が活躍できる場は多くありませんでした。

当時は明治時代ですので、儒教の価値観が色濃く残っていたのですね。

 

ですので、せっかく身につけた西洋の学問や生活習慣・見識を活かせる場所はほとんどありません。

ましてや、現代とは違って女性が活躍する場所はまだまだ少なかったのですね。

 

しかも、幼い頃から海外での生活をしていたため、日本語能力はむしろ通訳が必要なほどになってしまっていたといい、日本的風習にも不慣れだったようですので、当時は苦労したのでしょうね。。

 

が、そんな梅子に転機が!

明治16年(1883年)に、招待された夜会にて、伊藤博文と再会します。

(※伊藤博文といえば、日本初の総理大臣ですね)

華族子女を対象にした教育を行う塾・桃夭女塾を開設していた下田歌子を紹介されます。

↑下田歌子さん。(引用元:wikipedia)

 

こうして、梅子は伊藤博文への英語指導や通訳のため雇われて伊藤家に滞在します。

そして歌子から日本語を学びながら、「桃夭女塾」へ英語教師として通う様になりました。

明治18年(1885年)には、華族女学校で英語教師として教えることになったのです。

 

梅子はこの女学校で3年ちょっと英語を教えていたそうですが、上流階級的気風には馴染めなかったみたいですね。

そして、この頃には色んなところから縁談の話も持ち上がったようですが

「二度と結婚の話はしないでください。話を聞くだけでもうんざりです」と手紙に書いたと言われる位

結婚話にはうんざりしていたようです(笑)

 

そして、生涯独身を誓っています。

 

再び留学へ

 

日本で英語を教えていた梅子ですが、明治21年(1888年)に留学時代の友人アリス・ベーコンが来日し、

彼女に薦められて再び留学へ。

 

フィラデルフィア郊外のリベラル・アーツ・カレッジに通い、生物学を専攻します。

成績も良く、大学からも「残って研究を続けたら」と言われたそうですが

二回目のアメリカ生活にて、自分がやるべきことを見いだし、三年で帰国を決意します。

 

日本の現状を知った上での留学では、女子教育を広める重要性を悟ったのだと思われます。

 

留学を一年延長すると、梅子は日本女性留学のための奨学金設立を発起し、公演や募金活動などを行っています。

 

帰国後は、再び華族女学校に勤めます。

自宅に女学生を預かるなど、女子教育の支援を積極的に行ったといいます。

 

更には明治27年(1894年)には明治女学院でも講師を務める様になり、

34歳のときには女子高等師範学校教授を兼任しています。

アメリカで日本女性の代表として万国婦人クラブ連合大会で挨拶もしています。

 

その際には、ヘレン・ケラーを訪ね、さらにはフローレンス・ナイチンゲールやヨーク大主教とも会見する

といった機会にも恵まれ、更に女子教育の重要性を感じたのでしょうね。

 

梅子35歳のときに、日本で高等女学校令、私立学校令が公布されます。

これにより、法的に女子教育の足がかりができたということになります。

 

晩年

日本で法的に女子教育の足がかりが出来ると、梅子は学校の講師を辞め、

父やアリス・ベーコン、大山らの協力を得て「女子英学塾」(現在の津田塾大学)を設立します。

ここでは「身分にとらわれない女子教育」を目指して一般女子の教育を始めます。

 

それまでの行儀作法の延長の女子教育とは違い、進歩的で自由なレベルの高い授業が評判となったそうですが、最初の内は、厳しさから脱落していく人も多かったとか。。

 

その後、梅子は塾の創業期に健康を損ない、

塾経営の基礎が整うと大正8年(1919年)1月に塾長を辞任しています。

 

鎌倉の別荘で長期の闘病生活をしていたそうですが、

10年後の昭和四年(1929年)に脳出血のため64歳で亡くなります。

 

この様に、現代では当たり前の様に思われる、日本における「女子教育」の基礎を築いてきたのですね。

 

津田梅子の名言まとめ

実は津田梅子さん、名言を多く残しています!!

いくつかご紹介したいと思います。

 

男性と協力して対等に力を発揮できる、自立した女性の育成

今でこそ「対等」という言葉は珍しくないですが、この当時にこの言葉を言う事のできる考え方。

 

この学校に限らず、他のどの学校においても、

学校だけで皆さんの行く手にあるものに対処できる力を完全につけてあげることはできません。

これは卒業式の式辞での言葉だと言われています。

 

一人一人の人生の航路には独りで立ち向かわなければならない、

それぞれの困難と問題があります。

 

これも卒業式で述べた言葉だそうです。

サポートは出来るけど、最後は自分で立ち向かう力を身に付けなくてはいけないという事ですよね。

 

環境より学ぶ意志があればいい

学ぶ気持ちがあれば、どういった環境でも実現可能ということですね!

 

何かを始めることはやさしいが、それを継続することは難しい。

成功させることはなお難しい。

 

・・・その通り。深いです。

 

いかがでしょうか?

津田梅子さんの名言まとめでした。

ぐっと心にくるものが多く、さすがだなあと思いました。

 

美人画像

津田梅子さんといえば、資料として載っている画像は白黒で、まさに昔の日本人といった感じがするのですが

実は美人だった、という噂が。。

 

その証拠となる画像をいくつか見つけました!

確かに・・・。

上のメイクを少しカラーで施した感じなんて、現代でも通じる美人さんですよね!

 

当時からアメリカの生活に慣れていた梅子は、日本では少し違うオーラをまとっていたかもしれませんね。

 

5千円札起用の理由は?

ここまで津田梅子さんの経歴や生き方を見てきたら、もう説明不要の様な気もしますが

現代における女子教育の基礎を作り上げたといっても過言ではない功績。

後進の女性リーダーを輩出することに邁進したという事が大きいといえますね。

 

柴山昌彦文部科学相も、

「日本の女子高等教育の草分け的な存在であり、すばらしい人選」

と述べています。

 

また、梅子の設立した「女子英学塾」(現在の津田塾大学)の学長である髙橋さんも

次の様に感想を述べています。

 

津田塾大学の創立者津田梅子が新五千円券に採用されたというお知らせを拝受し、大変光栄に存じております。津田梅子は1900年に日本で最初の女性のための高等教育機関の一つである女子英学塾(津田塾大学の前身)を創設しましたが、それ以前から女性リーダーの育成に力を尽くし、女性の社会参画の機会を拡大したパイオニアです。後進の女性リーダーを輩出することに邁進した津田梅子を模範にして、梅子のバトンを着実に引き継ぎ、「変革を担う女性」たちをこれからも力強く育ててまいります。

津田塾大学学長 髙橋 裕子

 

今でこそ当たり前に女性も社会参加していますが、明治時代には今の状況は考えにくかったと思います。

そんな時代に、より早く「女性教育の大切さ」を見出し、行動してきた津田梅子さん。

 

まさに新時代、にふさわしい方の様に思えますね。

 

まとめ

今回は2024年から一新される新紙幣について

5千円札に起用された津田梅子さんの経歴や画像などをまとめてきました。

 

最初に名前を聞いた時には「誰だろう?」と思ってしまいましたが

こうやって功績を見てみると、本当に素晴らしい方なのだなと感じました。

 

6歳で留学して、保守的だった日本で女子教育の重要性を訴えるってかなり大変だった気がします。

そういった方々の努力や行動のお陰で、今の日本があるのだなと思うと感慨深いです。

 

新時代のお札。

デザインも一新され、最新のホログラムも使用されているということで

実際に手に取る事が出来る日が楽しみになってきました。

 

今回も最後までご覧いただきありがとうございます。

また別の扉でお会いしましょう。

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